『あとがき』 ~風が吹いた跡に~2016

お疲れ様です。
アマトリチャーナDAY 『2016』 料理班 班長 小池です。

2016.11.24
あの激闘から早4日、あれからまだ4日なのか、それとももう4日なのか、
そんななんとも言えない不思議な感覚に包まれつつ、
この時期の東京としては早過ぎる初雪を窓の外に眺めながら
この文章を打ち込んでおりました。

イベント終了直後からスタッフは元より、ご来場のお客様まで、
皆さん積極的にサイトへの投稿をしてくださり、こうして実に意味のある
イベントになってくれたという事実は海を越えてもう既に多くの人々の目に届いている事と信じています。
少し落ち着いた今、改めて何か云わずとも、です。

ですが、こうして1日限りの夢から醒めた今、
回顧録のようにこの「あとがき」打っているのは、今回のこの一大イベント
『アマトリチャーナDAY』 が持っていた意味を、実際に現場に立った人間が何か形として残し、また次にその想いに共感してくれた誰かが、 共に歩みを進めてくれる力になってくれれば、という復興のへの願いがあるからに他なりません。

実は当日のしどろもどろで終わってしまったインタビュー時、
料理班の班長として、ここまでどんな想いでこの日を迎えるまでが
あったのか、を、私なりにきちんと皆さんにお伝えしたかったの
ですが、こう見えて〝上がり症″ でして、どうにも人前で話すのは
上手で無い!、と自覚があります。

ゆえに、ここからはイベントが大盛況のうちに幕を閉じた今、
誰にも気兼ねすることなく、上手く伝えられなかった言葉を文字に変え、
このアマトリチャーナDAYに懸けた私自身の想いのたけを書きたいだけ
書きつづらせていただく事で、自身の中で今回を締め括りたいと思います。

先に申し上げます、スイマセン、かなりの長文になりますので、
予めご了承ください。
ご興味、お時間のある方だけ片手間に読んでいただけば幸いです。
(この前振りだけでも十分長いですのですが…)

◯では始めます◯

2016.8.24 ふとした時に流れたネットのニュース、
「イタリア中部アマトリーチェで震度7、建物は崩落、犠牲者多数、
周辺地域にも甚大な被害が…」、はっきりとその見出しと内容こそ覚えてはいませんが、その突然の悲報を受け、とにかく驚愕した事を 今も忘れることができません。

折しもあの震災が起きる少し前、私自身はイタリア修行時代、
このアマトリーチェを擁するラツィオ州リエーティ県との山一つ越えた
州境の地域ノルチャやスポレートも程近いウンブリア南部に在籍していた
経験から、毎年秋に開催される某百貨店でのイタリア展にて、ウンブリアの南部地域から来日するシェフのサポート役の依頼を引き受け、 その準備に追われている真っ只中。

修業先の店のバイクを乗り出し、ウンブリア南部一帯はもちろん、州をまたいだその周辺地域の街、村、野山、などなどを駆け巡り様々な経験をさせてもらった、月並みですが〝第2の故郷″ とも言うべき想い入れのある地域で起きた悲劇…。 (自分にとってはイタリアという国そのものがそうだとも思っていますが)
ガラにもなく引き受けた店を出ての仕事の意味が急転直下で自分の中で
変わりました。

「このタイミングでこの地域のサポート役を引き受けたのは
何かの運命なのかも知れない。
復興支援はこんな自分に課せられた使命なのかも知れない。」、
と強い決意を心に抱いた瞬間を鮮明に記憶しています。

ですが自分のような一個人に一体何ができるのか?

連日混沌とした中で報道される増え続ける犠牲者の数や、
倒壊した建物の映像を目の当たりにしながらそう悶々と考えていた矢先、
営業中にかかってきたイタリアからの1本の電話。
「小池さん、これに力をかして!」
その電話のお相手は今回ローマから我々に影で並々ならぬ絶大なサポートをしていただいた他ならぬ長谷川由美さんでした。

また、時をほぼ同じくして今回の主宰である池田匡克さんのSNSにて
告知、提案された支援チャリティーのシステム。
そうです、皆さんもよくご存知のあの2ユーロを寄付する 『AMAtriciana』の支援の形が、もちろん当店のみならず世界中でここに始まっていった事になります。

そうして次々と「自分も何かしたい」と日本中、いや世界中のレストランが
名乗り出ていく中、徐々に支援の規模も広がっていく実感を抱きながらの
当時。

ある朝、そうした状況をチェックしていると再び池田さんのSNSで
投稿されたばかりのページを発見、
それが今回の『アマトリチャーナDAY』へと繋がっていく呼び掛けでした。

自身の想いもさることながら、イタリア時代の大恩師、池田さんが提唱
されたとあって、当然これは是が非でも馳せ参じねばと、今まさに参加表明のメールを打とうしていた瞬間といっても過言ではありません、 これも何かの運命だったのかもしてませんね、
今度は出勤直後の携帯に1本の電話、愛媛からです。

「ヒロさん、もちろんやるに決まってるでしょう‼︎ 」
即決でした。

こうして『アマトリチャーナDAY』実現への第一歩が踏み出されました。
あの日を迎えるまでの我々の戦いが始まったのです。
思い返すとほんのまだ2ヶ月前くらいの話なんですね。

話は少し飛んで、以前お店のSNSにも書き綴った事もある内容で
重複しますが、イベント当日のインタビューの時も結局上手く言えなかった私の心情を少し。

ここ数年、わが国でも起きている自然災害による未曾有の被害や、
イタリアにおいては先のラクイラでの震災など、
同じ時代を生きる者として、日本人として、イタリア料理の人間として、
何か支援したい気持ちはあれど、結局ここまで何もできていない自分に
ある種の憤りや戸惑い、悩みがあった事は事実です。
そんな中、まさか今度は正に自分にとっても所縁のある場所でこんな事になろうとは…!

ずっと悩んでいた自分にできる支援とは何か?
気付けばその答えはすぐそこにありました。
イタリアに育ててもらったイタリア料理の人間であり、
イタリア料理しか作れない自分です。
「イタリア料理人はイタリア料理で恩返しするしか無い」
たったそれだけのことでした。

そこからは、もう今回の『アマトリチャーナDAY』に携わった皆さんならば周知の通り、適正な会場探しに始まり、膨大な食材の協賛依頼、保健、 消防、器材の問題、共通レシピの作成、などなど様々な壁を一つずつ、
時にすんなり、時には強引に、と紆余曲折を繰り返しながらの準備の日々。

参加メンバーも日に日に出揃い、開催2週間ちょっとを前にして始まったあの『名物』連夜のチャットミーティング(笑)。
これを軸に、イベントの大枠、小枠が次第に固まり、チームワークも右肩上がりに士気を高めていく中、正直その反面、自分の中ではそれに反比例するかのように高まっていく成功への重圧…。

半野外での開催という事もあり、天候への危惧もその大きな要因でも
ありました。
事実、開催前の2週間くらいは東京もずっと天候が不安定で気温も低く、
前日においては終日の雨と芯まで冷える寒さでもあったため。

ですが、そんな不安も懸念も笑い飛ばすかのように、いざ蓋を開けてみれば前日までの悪天候が嘘のような晴天に恵まれ、気温も20度を超えるほどの暖かさ…。 しかしイベントが明けた翌月曜日にはやはり再び冷たい雨。
こんな事もあるんだなー、と安堵すると同時にイタリア各地の Miracolo、
それに匹敵する衝撃、と勝手に思ってみたり、と。

ちょっとロマンチックな言い方ですが、きっとイタリア料理の神様が この日に限っては『お前達、しっかり頑張れよ、頼んだぞ』 と〝粋″ な計らいをくれたんじゃ無いかな、と今も信じて疑いません。

今だから言えますが、準備期間中、みんなにミーティングでは
「やるからには楽しみながらやろう」と、班長として常々伝えてきた立場であったのですが、実はそんな自分が恐らく料理班で一番不安と重圧を抱えていたのではなかろうかと思います。

また、震災という悲しい出来事からのこのイベント、
いまだ現地では被災した人々が苦しんでいる中、
どこか〝楽しむ″ という事に小さいながらも不謹慎では?、
という感覚を捨てきれず、本当の意味で楽しめていなかった自分が
居ました。

ですが、ある時の小さなミーティングでの池田さんからお言葉、
「このアマトリチャーナDAYの目的は高額の義援金を集める為に行なう訳
では無い。 このイベントを通じてもっともっとイタリア料理の美味しさや
楽しさ、素晴らしさを知ってもらい、それが復興に繋がってくれればいい。 とにかくやる人間達がまずは楽しまないとそれは伝えられないし、成り立たない」。

この言葉をいただいて、頭では分かっていたものの、勝手にいろいろ背負いすぎていた自分の中で、何かかが吹っ切れました。

そして何よりも、そんな自分を突き動かしてくれてきたのは、こうして集まった『愛すべき熱きイタリア馬鹿達‼︎ 』です。

出身も年齢もキャリアもまるで違う人間達がこれほどに集まって、
共に口を揃えて言っていたのは「イタリアに恩返ししたい! 」
です。

ホント、最高ですよね、こんな奴ら。

「こんな熱い連中を楽しませてやらなくて何ができる⁉︎」
最後はみんなの熱い気持ちが束になって私の背中をどこまでも押し続けてくれました。

結果は先にも書きましたが、もう皆さんよくご存知。
準備してきたアマトリチャーナのソースも、各シェフ達の持ち込み料理も、ワインも、バザーも、全てが底をつき、最後にはガスも無くなり…。

会場の傍らで見守ってくれていた 〝ジョー″ もきっと驚愕したであろう、文字通り 〝真っ白に燃え尽きて″ 見事最終ラウンドまでをガムシャラに 戦い切って終了。

みんながまさに一丸となって汗をかき、笑い、泣き(?)の
突っ走り続けた6時間の戦いでしたね。

ちょっぴり冷えすぎたビールと冬の夜風が心地良い、そんな終わりを
なんとか無事に迎えることができました。

いろいろ葛藤がありました。
でも正直言います。
『めちゃくちゃ楽しかった‼︎』

自分のような料理人、サービス、業者さん、などなど、それだけではなく
こうしてそれぞれにイタリアという国に携わってきた人間が、
この度の根幹をなす理念
『アマトリチャーナの故郷を救え』の下、
まさに文字通り掲げられた 『心はひとつ』 の言葉に導かれるように、何か小さくとも自分もイタリアに恩返しをしようと集い、
そして大きな形になる。

この奇跡のような出来事が自分の事よりも何よりも
心から嬉しく、また頼もしく、『最高の仲間達』と過ごしたこの1日は、
イタリアに惹かれこの世界に飛び込んで、早20数年が経ったこれまでの
自身の料理人人生の中においても、ある意味最大の感銘を受けた記念すべき1日となった、そう言っても過言ではありません、
いや、そう宣言します。

しかし、それは〝まだまだ″ 今回1日だけの夢のような物語。

あの8月24日から数えて、今日のこの日でちょうど3ヶ月。
東日本でも熊本でもそうでした。
たったの3ヶ月では被災地であるアマトリーチェや周辺地域に目を向けて
みると、未だ瓦礫の山の映像や、ままならない復興への歩みが
胸に突き刺さります。

1日も早い復興を想いながらの3ヶ月後の今日、こうして落ち着いて
この奇跡のような1日の「あとがき」などを書いていられる自分は、
本当に幸せだな、と心から感じ、このイベントを支えてくれた全ての人々に改めて心からの感謝を無しには筆をとれません。

イベント終盤での各メンバーのインタビューや、終了後の閉会式などでも
みんながまた事前に打ち合わせでもしてあったかのように口にしていた
一つのキーワード、

『これで支援が終わったわけでは無い。ここからが始まり。』

正にその通りです。

誰か著名な方の言葉という訳ではありませんが、
私の心の中に常にある座右の銘のような考え方の一つに
「何かが動けば風が起こる」というものがあります。
物理的に言えばそのまま、物体が移動すれば、気流が生じ周りの空気を巻きこむ。 そういう事なのですが、私はこれを良く料理や仕事において自身が置かれた立場や姿勢などに置き換えます。

〝何は無くとも自らが動くことで、起きたちいさな気流(活動)が
いつしか大きな風となって周囲を巻き込み、
その風がまた次の何かを動かす″

今回のメンバーは実に全員がそんな熱い気持ちを持った人間達。
主宰の池田さんが誰ともなく声をかけずとも、全員が自ら志願して集った熱き有志でした。

このイベントで起きた小さな風、
それに何かを共感してくれた誰かがどこかでまた、
我々の想いを伝える風が吹いてくれる、そう願わずにはいられません。

人間の記憶とは曖昧なもので、あれほどの被害が出た東日本や熊本の震災の事でさえ、その意識は今はもう普段の人々の生活の中にはあまり見受けられる事が少なくなってきました。

決して忘れてはいけない。
そこから前に進まなければならないからです。

ですが、そんな我らが最高の愛すべき熱きイタリア馬鹿達、
チーム「アマトリチャーナDAY」の面々は、また何も言わずとも
自らの職場や環境に戻って再びイタリア中部復興支援への新たな一歩を、
お疲れの乾杯ビールの直後から既に踏み出している事でしょう。

再び、風が起きる事を信じて。

ここまで本当に長くなって申し訳ありませんが、
そろそろまとめに入ります

今回のイベントを通じて改めて「ハッ!」とさせられた事だけ(?)
言わせてください。

私自身も先日の百貨店での催事期間中、大使館からの依頼により
並行して執り行ったアマトリチャーナのチャリティー、
所属するイタリア司厨士協会ローマ支部の日本窓口としてのチャリティー、
そして今回のアマトリチャーナDAY。
たった3ヶ月の間に息つく間も無く奔走してきた渦中に感じた事、
それは他でも無い、イタリアを愛する人々の『輪』でした。

今回も、たった1日だけのアマトリチャーナDAYでしたが、
まさに『心はひとつ』の言葉がおりなすように、
これだけ多くの人々が、日本が、イタリアが、
この1日の為に繋がり、1つの『輪』になれた瞬間だった、
と信じています。

『輪』、イタリア語で 『Rotonda 〜ロトンダ〜 』

そう、その言葉は我らが主宰池田さんが掲げるメッセージそのものに
ずっと以前から既に込められていたんだ、
とイベントの最中に改めて気がつき、身震いと共に1人でこっそり
涙が出そうになってしまったことを自白します(笑)

今回のイベントは、この先も想像をはるかに超えた膨大な時間と費用が
かかるであろう復興に向け、たった1日の小さな活動だったことには変わりはありませんが、小さくともその何か一つの礎となる事が出来たであろうと私は誰よりも強く信じて疑いません。

こうして今、「ひとまず」このチームは1度解散いたしましたが、
この小さな大偉業はここに集いしメンバーの誰一人として欠けていたと
したならば、恐らく成し得ることは決してできなかっであったであろう、
お世辞抜きの最高の仲間達でした。

そんな中、いささかの力不足でご迷惑をおかけする事多々ありましたが、
今回料理班の班長という大役を務めさせていただいた事、
その上、裏方に徹する気構えでいた自分には思いも寄らなかった
『MVP』という殊勲までいただけた事、
何もかもが身に余る光栄なのですが、
何よりもこの最高の仲間達を、そしてその仲間達とともに
何かを創り上げられた事を私は心から誇りに思います。

アマトリチャーナを支援、勇気づけるつもりが、アマトリチャーナを通じて逆に自分はメンバーみんなに助けられ、勇気づけられ…
きっとみんなそれぞれそんな感覚をどこかに感じながらの1日だったのでは
なかろうか?、と。

本当のMVPは他の誰でもない、アマトリチャーナDAYのみんなであり、
携わり、支えてくれた人々全てだと思います。

イタリアを愛する皆さん、
これから先もこれまで以上にイタリアを愛し、
被災者の方が誰一人残らずみんなが笑顔を取り戻せるその日まで、
小さくとも共に復興への歩みを支える力となっていきましょう。

それでは本当に長々と失礼いたしました。
書き始めたのがそれこそ24日なのに、書き終えたのは2日後です(笑)

最後の最後になりましたが、先ほども申しましたように
この『アマトリチャーナDAY 2016』に携わり、支えてくださった
全ての人々にこの場をお借りして心からのお礼の言葉を伝えさせて頂きたいと思います。

が、色々難しく考えても、
結局はこの言葉を超えるものはありませんでした

『みんなホントにありがとう、また来年‼️』

アマトリチャーナDAY 『2016』
料理班 班長 小池教之

カテゴリー: 2016